
日本のアルミニウム産業
1970年代の国際経済の大きな変化、ドルショックとオイルショックによって、生産コストに占める電力費の割合が大きい地金製錬業は、国際競争力を失って経営危機に陥り、政府の救済政策を受けたものの、1980年代に製錬事業から撤退する企業が相次ぎ、1988年以降は、日本軽金属蒲原工場を残すのみとなった。 一国の産業構成のなかから近代産業が実質的に消失する事例としては、日本においても、綿紡績業や石炭鉱業を挙げることができるが、産業の最盛期から衰退にいたる期間の短さという点では、アルミニウム製錬業は極めて特異な事例といってよかろう。石炭産業を見れば、1959年の石炭鉱業審議会答申以来約40年にわたって構造調整政策が進められ、生産量は5100万トンから310万トンに削減された。アルミニウム製錬業では、1977年の地金生産能力年産164万トン(史上最高)から、わずか11年後の1988年には年産3.5万トンにまで激減したのである。 製錬業は衰退したが、アルミニウム加工業は、輸入新地金と再生地金を素材として、国内需要の急増とともに着実に成長を続けた。先進諸国のなかで、国内に製錬業を持たずに国際分業の形で加工業が発展しているのは、日本のみであり、ドイツでさえも地金消費量の約20%は国内で製錬している(2010年現在)。日本のアルミニウム加工業が、新地金を安定的に入手できる要因としては、海外製錬業に投融資することを通じて新地金を確保する開発輸入の役割が大きい。製鉄業や製銅業にくらべるとやや遅れるが、アルミニウム製錬業と総合商社は、1960年代からボーキサイト、1970年代から新地金の開発輸入に積極的に取り組んだ。1976年にはインドネシアのアサハン・プロジェクト、1978年にはブラジルのアマゾン・プロジェクトが、政府資金を投入した国家プロジェクトとして開始された。 原料となるボーキサイトは賦存量が大きいので資源論的には供給不足のおそれは小さいが、現行の製錬技術では、電力原単位が大きいからエネルギー資源の限界に影響される。その結果、新地金の供給価格が上昇し、供給が不安定化する事態が生じるかもしれない。安定供給の軸となっている開発輸入についても、国家プロジェクトとして展開されたアサハン・プロジェクトでは、契約期限満了後には、資源ナショナリズム的政策を選択したインドネシア政府によって、日本側が望んだ契約の延長が拒否されるという事態が起こっている。 アルミニウム産業の成長のためには、新しい資源政策が必要な時代に入っているといえよう。日本のアルミニウム製錬が終焉を迎えた時点で、アルミニウム産業の歴史を振り返りながら、21世紀の産業としての問題点を検討することが、本書の目的である。
- 出版社
- 三重大学出版会
- 発売日
- 2016-01-10
- ページ数
- 300ページ
- ISBN
- 9784903866314
